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こぼれ話

2010年冬にヘルシンキ大学人文学部を訪問した際,インタビューをうけ,昔話をする機会がありました。このエッセイでも記している留学当時のことを懐かしく思い出しました。

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「小さい」言語 フィンランド語を学ぶ楽しみ

『麗澤教育』第12号 (2006), pp. 76-80 に掲載されたエッセイの電子版です。公開にあたり,印刷された記事にあった誤植を訂正したほか,一部に加筆修正をおこなっています。

なぜフィンランド語を?

「森と湖の国」と呼ばれる北欧の小国フィンランド共和国。日本からは直行便で10時間ほどの「最も日本に近いヨーロッパ」である。面積は日本よりやや小さい程度で,大きさとしては決して「小国」ではないが,人口はわずかに520万人。国土は森と湖が8割を占める緑豊かな国であり,湖沼は大小合わせて15万にも上る。

フィンランド語 (フィンランド語の自称は suomi[スオミ]) は,もっぱらフィンランド共和国の中で話される言語である。フィンランド国民の93%が母語として話す言語であり,5%が母語とするスウェーデン語とともに,公共サービスを提供するフィンランドの公用語となっている。

「なぜフィンランド語を勉強しているのか?」という問いを,フィンランド人からも日本人からもしばしば受ける。この小稿では,この質問に対する私なりの (直接的・間接的な) 回答を3つほど挙げ,フィンランド語,ひいては新しい外国語を学ぶ人への激励の言葉としたい。

回答1:フィンランドが好きだから

フィンランドというと,どんなことを想像するだろう?サンタの国,北極圏の白夜と極地夜,オーロラ,森と湖,サウナ,ムーミン,さらには建築・インテリア・服飾などの先進的なデザイン,F1やラリー,スキーのジャンプやクロスカントリーなどスポーツでの活躍,オープンソースの基本ソフトLinux発祥の地,世界的な携帯電話会社NOKIAまで,フィンランドのもつイメージは実に多様である。経済協力開発機構 (OECD)国際学力比較調査 (PISA) で子供の学力の高さが話題になったことも記憶に新しい。

フィンランドに限らず,その国や地域に関心をもつきっかけはさまざまだろう。私の場合は大作曲家シベリウス >> 日本シベリウス協会 >> Wikipedia の深遠な音楽だった (中学校の時に,たまたまラジオで録音した「交響曲第4番」 >> Wikipedia を,作曲者も曲名も知らずに10年近く聴き続けていたのだった)。今でも,フィンランド語の中に運命的なシベリウスの響きを感じることがある。

回答2:変わった外国語が「難しい」とは限らないから

私は学部時代文学部に在籍した。何か外国語を身につけ,それを生かした仕事をしたいと思い,大学入学後さまざまな言語にチャレンジした。しかし,どの言語に「自分の未来」を託したらよいのか,悩んだものの結論が出ず,結局言語一般に関することなら何でもアリ,また研究対象とする言語も好きに決めてよい,という「言語学」を専攻することにして,今に至る。

いろいろな言語をかじっては諦めた。発音が難しい,変わった文字を使うのがダメ,名詞ごとに覚えなければならない性 (ジェンダー) が許せない…。そんな中で偶然出会ったフィンランド語は,「発音が簡単」「アルファベット系の文字で綴りと発音が一致」「アクセントが常に語頭にある」「名詞に性の区別がない」といった,ぐうたらな私の性に合った性質をたまたま備えていたのである。(注1)

フィンランド語の,馴染みやすいが「ひと癖ある」発音の特徴を一つだけ紹介しよう。フィンランド語の音には有声音 (いわゆる「濁音」) が少ない。pやkはあっても,対応する有声音であるbやgが存在しない。そのため,私たちがよく知っている外来語も,それと知らない人には一見何だかわからない。さて,次のフィンランド語の単語は私たちもよく知っている外来語なのだが,何という英語に対応するだろうか (答えはこの記事の末尾をごらんいただきたい)。

  • pankki
  • pallo
  • patteri

pとkはフィンランド語の辞書の見出し語の実に4分の1を占める。そこで,以下のようなkばかりのフィンランド語の早口言葉が生まれることになる。

Kokko,kokookokokokkokokoon!
コッコココーコココッコココーン
集めて全ての焚き火をまとめて
「鷲よ,全ての焚き火を一つに集めておくれ!」

この早口言葉からはまた,フィンランド語に子音(と母音)の長短の区別がることもお察しいただけるだろう (この点でもフィンランド語は日本語を母語とする我々にとって親しみやすい言語である)。

注1:フィンランドは1907年に独立したばかりの若い国である。フィンランド語も,書き言葉の標準が確立したのが19世紀という非常に若い言語であり,そのことが,フィンランド語が合理的な綴り字 (正書法) をもつ大きな理由になっている。

回答3:フィンランド語が好きだから

これは「なぜフィンランド語を勉強しているか?」に対する回答にはなれ,「どういうきっかけでフィンランド語を始めたのか?」という質問に対する答えとしては全くトンチンカンなものだろう。

フィンランド語は,「ウラル諸語」と呼ばれるグループに属し,その特徴は,なじみの深いヨーロッパの言語とはかなり異なっている。そして,文字と発音という最初のハードルが低い代わりに,その先には「普通の言語とは一味違う」好奇心をくすぐるさまざまな特徴が待っている。語学に関心のある人には,たまらない魅力のある言語なのである。以下,「語形成」という観点からフィンランド語の「面白さ」を紹介しよう。

フィンランド語の単語は実に多くの語形に変化する。ヘルシンキ大学の Fred Karlsson 教授によれば,名詞 kauppa [カウッパ](「店」) の可能な変化形を全て挙げると2,253通りにもなる。フィンランド語話者は,これらの語形を全て記憶しているのだろうか?そうではない。単語に付く要素の付く順番は厳密に決まっており,また単語に付く要素の形が一定なので,単語につく要素とその順番さえ覚えれば,語形は簡単に予測できるのである。auto[アウト](「車」) を例に,語形変化の仕組みを見てみよう (表1)

表1:auto「車」の語形変化の例
単語(語幹) 所有 小辞  
auto         auto「車」(主格)
auto   ssa     auto-ssa[アウトッサ]「車の中で」
auto i ssa     auto-i-ssa[アウトイッサ]「(複数の)車の中で」
auto i ssa mme ko auto-i-ssa-mme-ko[アウトイッサンメコ]「私たちの(複数の)車の中で(です)か?」

実際,一度規則を知ってしまえば正しい語形がどんどん作れるのは,驚くほど楽しい。そして,どんな複雑な語形を作って話しても,フィンランド人はちゃんと分かってくれる。これがまた,何とも楽しいのである。

フィンランド語では,一つの単語から新しい単語を作る仕組み (「派生」derivation と呼ぶ) も発達している。たとえば,kala「魚」からは kala-staa「魚を釣る」 kala-inen「魚の」 kala-isa「魚のたくさんいる」 kala-mainen「魚のような」 kala-ton「魚の(い)ない」といった単語が派生する。この特徴は,単語と単語の意味の関連を形の上でも理解することができるだけでなく,-isa (-isä) がつくと「~がたくさんある・いる」という意味になり,-ton (-tön) は「~なしの」といった意味になる,といった予測ができるので,結果として認識できる語彙の数を飛躍的に増やすことができる。

さらに,派生語と,先に挙げた語形変化の仕組みを組み合わせると,単語がどんどん長くなる。長い単語の例としてフィンランド人が自慢する

epäjärjestelmällistyttämättömyydellänsäkäänköhän

(「あの人の物事を順序立てさせないでおくことができない性格のせいで[はないんでしょうかね]」 とでも訳せるだろうか) は,「東京|特許|許可局」のように複数の単語を並べて一語に見立てる「ズル」をしているわけではなく (この種の造語法を「複合」compounding という),一つの単語に「単語ではない」さまざまな要素を決められた順番で次々とつけて作られた「まっとうな」語形である。…ここまでくると,フィンランド語に負けるものか,という気持ちになってくる。事実,フィンランド語の面白さに必死で付き合って,留学して1年ほど経ってみると,フィンランド人と普通に話し,また大学の授業で自分なりの議論ができるだけの語彙と文法はいつのまにか身についていたのだから,不思議なものである。

おわりに

ひとたびその外国語に親しみ,コミュニケーションの道具としてその言語を使うようになると,その外国語を使って得られるものの大きさ,豊かさは,その言語を学びはじめた時には想像もできなかったものであったことに気づく。

フィンランド人がよく話すジョークのなかに「フィンランドと日本は国を一つはさんで隣り合っているご近所同士」というのがある。間にあるのはロシアという巨大な国だけ。果たして「ご近所」といえるかどうかはともかく,この言葉はフィンランド人にとっての日本の心理的な「近さ」をよく表している。おそらく,フィンランドという小さい国の言語だからこそ,その外国語を介して得られる友情や信頼関係の絆は強く,深いのであろう。「小さい」言語を学ぶ喜びは,こんなところにもある。

追記

麗澤大学外国語学部 では,2004年度から「自主企画ゼミ」という学生が企画・発案する新しいタイプの授業が開講できることとなり,2005年度の秋学期に10人あまりの学生が,麗澤大学で初めてフィンランド語の授業である「基礎フィンランド語」を受講してくれた。2006年度より始まる 麗澤大学オープンカレッジ (ROCK) でも,社会人むけにフィンランド語の講座を担当する予定である。

回答2の問題の答え

フィンランド語 pankki「銀行」( = 英語 bank),フィンランド語 pallo「ボール」( = 英語 ball),フィンランド語 patteri「暖房器,バッテリー」( = 英語 battery)。語末に母音が入るのもフィンランド語らしい特徴です。日本語が「ウ」(e.g. ボー,バン)を入れるのによく似ていますよね。